あれから4年

早いもので、あの日の大地震から既に4年が経とうとしています。
私たちがアメリカに引っ越そうと本気で思い始めたきっかけでもあります。

今、4年前のメールなんかを見返してみました。
そうでした。あの日は、金曜日で、ビングラさんと仕事帰りに上野駅で待ち合わせて、17:18発の電車で金沢に帰る予定にしていました。
その週末に、和倉温泉で開かれるマラソン大会に参加する予定だったのです。
このマラソン大会には、親友と一緒に参加する予定で、その友達も土曜日には金沢に来る予定になっていました。このマラソン大会の参加賞が牡蠣だったので、それと温泉をお目当てに友達ととても楽しみにしていたのを覚えています。

ビングラさんは、これまでの人生、携帯電話を持ったことがない人なので(ポリシーらしいです)、16階の揺れるビルの中で、怯えながらどうやって連絡をとればいいか???と考えていたのを覚えています。
そして、私の携帯は全く通じない状態だったので、会社の電話から家の電話に何度も電話して、どれだけ時間がたったかは覚えていないけど、ようやくビングラさんと電話がつながった時には、本当に安心したのを覚えています。
ビングラさんは、待ち合わせの上野駅に向けて家を出る直前だったらしいです。もし家を出てしまっていたら、お互いの連絡が取れるのが、もっと後になって心配な時間が増えていたと思います。

ビングラさん曰く、家の中には居られないくらい揺れたので、外に出たらしいです。
外に出たら、今度は屋根が踊って、駐車されていた車も前後に動いていて、近所の人と無言で顔を見合わせ
ていたらしいです。
家の中に戻ると、壁に下げてあった時計や絵などは床に落ちて割れていて、キッチンのキャビネットも開いて食器が落ちて割れていて、とにかく家の中はめちゃめちゃになったと言っていました。
私が帰ったころには、すでにビングラさんがいろいろ片づけてくれていて、綺麗になっていましたが、たくさんのゴミ袋を見て、大変だったんだろうなと思いました。

ビングラさんが家の掃除をしている頃、私はどうやって職場の秋葉原から練馬まで帰ろうかと考えていました。一緒にマラソン大会に出る予定のお友達は、幸いにもご近所さん、そして同じ会社の同僚。
その友達と、地図をプリントアウトして、歩いて帰ろう!ということになりました。
多くの人が、会社に残って一晩過ごしたらしいですが、私は会社に残っているより、一刻も早くビングラさんに会いたいという一心だったのです。
結局、その日は金沢に帰る予定の荷物をいっぱい持っていたので、一部を会社のロッカーに入れたけど、多めの荷物でした。そして、お友達は・・・ハイヒールしか持っていませんでした。
この日は、とても寒くて、友達は足の感覚がないと言っていました。結局、会社を出てから4~5時間後に家に着きました。都心でこんなに歩道をうめつくす人を見たのは初めてです。
みんな一心に同じ方向に向かって歩いていました。異様な風景でした。

とにかく歩き疲れて家に着いた時には、ビングラさんと抱き合ってしばらく離れられませんでした。
本当に恐ろしかった。
その日の夜からは、大小の余震が続いて、夜何度も飛び起きたのを覚えています。
そして、家に帰ってからTVで東北の状況が本当に大変だったということを知りました。
ビングラと一緒に涙を流しながらTVを見ました。
この日はベッドルームではなく、TVの前のソファーで寝ました。
あのWarningの音がTVから鳴り響くたびにどこに逃げようか?と一瞬凍りつきました。

この後、福島の原発の様子がどんどん明らかになって行きました。
東京では水道水が汚染されているという報道がされると、みんなパニックになり、ペットボトルの水が店頭から消えました。
近所の自販機で、ペットボトルの水を買い占めている人がいました。

イギリス人やオーストラリア人の友達は、自国に帰ることを検討していました。
子供がいる人たちは、特に放射能には敏感に反応していて、政府チャーター便で出国する人もたくさんいました。
各国大使館では、ヨウ素剤が配布されていて友達家族もそれを受け取りに長いこと列に並んだと言っていました(実際に指示があるまで飲めないので、結局飲まなかったそうです)。
私たちは必要ないと判断して大使館にいったりはしなかったんですが。
各国大使館はさらに、自国民のためにチャーター機を準備して、出国させる手続きをしていました。アメリカがチャーターした飛行機は、台湾までしか行かない+費用が高かった記憶があります。
イギリスも香港までしか飛ばなかったと思います。飛んだあとは、自己責任でホテルを取らないといけないので、出国した人たちは、ものすごい出費になったのではないかと思います。

今思い出してみると、本当にいろんなことがありましたが、4年経つとやっぱり記憶はあいまいになっている部分もあります。
怖かったという記憶はしっかりと残っているのですが、どうやってその後1~2週間をすごしたかなど、ちゃんとした記憶がありません。
会社が1週間休みになったのは覚えています。その間、地震の少ない実家に帰りました。

その後、ビングラさんは続く余震のために寝不足が続いてちょっと参ってしまった様子でした。
寝ることが一番の健康法を考えているビングラにとっては、辛い状況が続いて大変だったみたいです。

今も東北や各地では犠牲になった方々の家族やお友達、沢山の方々が辛い思いをして暮らしているのではと思うと、とても辛いです。

こうやって、遠くに住んでいると、日本のことに無関心になってしまいがちですが、常に日本のことを考えるようにしています。
自分にできることは何かな・・・と考えてしまいます。
あれから4年。私たちにもいろんな変化がありました。
常に変化を続けています。
これからまた1年後、2年後・・・と振り返った時に、後悔のないような毎日を過ごせたらと思います。

そんなこんなで、まとまりませんが、夜も更けてきました。今日はこの辺にしようと思います。
おやすみなさい。
===========================
[PR]
by binglish | 2015-03-11 12:35 | 暮らし


FortWayne/INでの日々の暮らし


by binglish

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
手しごと
天気
家族
キッチンで
暮らし
手続き
お庭で
レシピ
学校
石けん
未分類

最新の記事

祝!卒業〜〜
at 2016-05-15 22:54
新年のご挨拶 2016
at 2016-01-04 11:11
冬休み
at 2015-12-30 07:25
Thanksgiving 2..
at 2015-11-30 06:33
学習発表会
at 2015-11-08 11:26

外部リンク

ブログジャンル

画像一覧